焼酎梅割り
を飲みながら仕事やってます。
ぷは~~っ!
うまいにゃ~~♪
僅かにレモンを絞っているのがミソかな?
(しかし、酔ってきたな、こりゃ。)
« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »
を飲みながら仕事やってます。
ぷは~~っ!
うまいにゃ~~♪
僅かにレモンを絞っているのがミソかな?
(しかし、酔ってきたな、こりゃ。)
そりゃないだろう。
例え本当だとしても、世間は大麻事件の報復としてしか見ないぜ。
関係者もあんな記者会見やる前になんとか出来なかったのかよ。
ったく、よ。
だめだこりゃ。
おっと、新たなニュース。
YOSHIKI、相撲協会に怒られてクレーム入れてやんの。
いい気味。
怒られるほうが悪い。
有名人だからって調子に乗んなっちゅうの!
上はグレープフルーツジュースと紅茶のミックス。
某りんごちゃんの奥さんが作ってくださった。
いいお味でした。
エネスタ幕張にて
それにしても、昨日、今日と涼しいね。天気も良くないし。なんとなく物悲しい気分。9月も今日で終わり。
You've Got A Friend---carole King,Celine,Gloria,Shania
マリーンズが日ハムに勝ってこの時点で3位。一方、オリックスは西武に7対2で勝っている。西武は優勝してから一度も勝ってないじゃないか!って、優勝したときも負けてるわけで、だらしないぞ。くそ、オリックスが負けりゃマリーンズの2位だってあるわけで・・・。
残り僅か。CSに行ける席2つを3つのチームが狙っているというような、まるで椅子取りゲームのような様相になってきた。
千葉のウッドハウスという店で、天晴君の心臓移植の為の募金活動の一環として開催されたライブに行ってきた。天晴君のお友達のお母さんたちが頑張ってた。ウッドハウスのマスターも出演者も頑張ってた。たくさんの人が集まっていた。
このお方が(天晴君を救う会)副会長さんだったかな。
そして、演奏はこの人たち。
宮崎勝央(sax)、外山安樹子(key)、関口宗之(b)、あやの(ds)、Shino(vo)・・・・・・(あやのさん、Shinoさんについては正確な表記じゃないです。すみません。)
ご機嫌なサウンドなのだ。
天晴君へのオリジナル曲のプレゼントもあった。
お店(ウッドハウス)もいい雰囲気。明るくて、清潔感があって、ビールもカツサンドも美味しかった。場所は護国神社の近く。千葉公園も歩いてすぐなので、公園を散歩したりした後に寄るというのもいいかもしれない。
Sunnyさん、お二人(外山さんと関口さん)にSunnyさんのことをお話ししておきましたよ。写真もご覧の通り撮らせて頂きました。 有難うございます。
ライブ終了後に、「天晴君を救う会」からの報告があった。
現在のところ9000万円集まったそうだ。
皆さんの協力も凄いけれど、天晴君のお友達のお母さん達が家事やパートやらの空いたときに一所懸命汗水流して走り回った賜物である。でも、心臓移植にかかるお金は約1億4000万円なのだそうだ。まだまだ、いや、でも、この調子で行けばなんとかなりそうな気配である。天晴君は今、病院のベッドで頑張っている。
「俺達のホームページ」のスタッフも微力ながらご協力させて頂いている。
http://www.oretachi.jp/
しばざ記 541
東武線に乗って羽生を通り、佐野に行き、そして足利に行って以来、田山花袋「田舎教師」の文庫本を引っ張り出して、仕事の現場に向かう電車の中で読んだ。羽生の界隈が舞台の小説だ。昭和46年の「51刷り」というもう殆ど赤茶けた新潮文庫だ。なぜかそんな古い本が書棚の一番手前に出ていた。(だから、前述の引っ張り出したという表現はウソ)
あらすじは、一人の青年の「夢と現実」、そして「挫折」、「死」であるが、実に淡々と現実的に描かれている。この手を自然主義文学というらしい。以前この本を手にしたときには、おそらくあまり感動しないまま読み終わったような気がする。何故なら展開を殆ど覚えていなかったからだ。ただ、最後の数行はまるで昨日読んだように鮮烈に印象に残っていた。以下だ。
<< 秋の末になると、いつも赤城おろしが吹きわたって、寺の裏の森は潮のように鳴った。その森のそばを足利まで連絡した東武鉄道の汽車が朝(あした)に夕べにすさまじい響きを立てて通った。>>
これですよ。この一文が心に残っていて、羽生とか足利の地名に何かぐぐっと来るものを感じていたのである。
話は打って変り、関根勤って55歳なのですよ。若いですよね。ちと前にテレビCFで「年齢の割りに若々しい」みたいなやつをやってたけど、ほんと、驚くばかりなり。で、一方、というか、比較しちゃまずいかもしれないけれど、石破農水相は52歳。なんと、あの顔で関根勤よりも3歳も下なのだ。これも驚かない??
しばざ記 540
先日行った港屋のあの「温かい鶏そば」を再現すべく材料を買ってきて、いざチャレンジ。
実は、昨日茂野製麺での打ち合わせで、同社の次の季刊誌に、あの味の茂野風レシピを載せようということになった。上の写真は材料の一部。これに、酢と「めんつゆ」が加わる。「すき焼きのタレ」は茂野社長の提案。これを使うと案外うまく「つけ汁」が出来るんじゃないかということだったので、すかさず同意。
まずは目分量で、つけ汁をつくる。1人前、カップ1杯の水に、めんつゆ1/4カップ、すき焼きのタレ1/4カップ、酢 大さじ1杯を入れ、白ネギをハスに切ったもの少々。そして、ネギが辛くなくなるまで煮る。そのときに、鶏もものぶつ切りを2~3切れ入れると「鶏そば」になる。
上が出来上がり。そばは硬めに茹でて、冷水で締め、よく水切りする。白胡麻をたっぷり振り掛ける。そして刻み海苔をこれでもか、というくらい載せる。つけ汁にはたっぷりラー油(お好みだけど、たっぷり入れるほど旨い)と、やはり白胡麻を振り掛ける。これで完成。
案外旨かった。いや、結構旨かった。ちょっとネギは辛かったか。テイク2では、白ネギをもっとくたくたになるまで煮てみた。ネギの臭みと辛いのが嫌いな方はよく煮たほうがいい。また鶏肉も入れてみた。グーだった。(残念ながらテイク2の写真は食べるのに没頭していて、無し。)
これ、もう一度作ってみてうまくいったら、デザインと撮影をお願いしている制作会社に指示を出して早ければ来週早々にでも本番の撮影をする予定。楽しみ。
しばざ記 539
昨夜はリンコスで180円のでかいアナゴの天ぷらと、120円のかき揚げを(家族分)買って帰り、それをツマミにマリーンズの試合を観ながら日本酒を飲む。いいね。こういうの。仕上げはアナゴ天を甘辛く煮て、アナゴ天丼なのだ。
マリーンズは一進一退が続くが、もう残り試合も少ないので、星を落とさないことだ。頑張ってちょ!
こういうの(YOUTUBE)を教えてもらいましたんで、貼ってみました。
1993年つーと、もう15年前なんっすね。
森高、若いっ!
しかも、可愛い。
といっても、以前も私書いたのですが、その頃の私、ほとんど彼女を知らなかったんですよ。もちろん、ミニスカで踊りながら歌うPVを観たことはありましたけどね。
彼女、バンド出身で、どのくらいのテクがあるか分かりませんが、ピアノ、ギター、ドラムとなんでもひと通り出来るみたいですね。凄い。単なるアイドルだけじゃなくて、色々な才能があったわけですな。(後から知った)
ところで、知人が10月になったら渡良瀬橋を観に行くと言ってました。私と同じで彼も、森高をあまり知らないけれど、「渡良瀬橋」(楽曲)のファンなのです。ま、でも、あの詞は彼女が作ってるわけで、その詞に惹かれるということは、イコール、彼女のファンでもあるわけなんですよね。
9月22日の夜、南青山マンダラでのライブ「栗本修セッション・フィーチャリング井手麻理子」。このシリーズは2度目。今回はお馴染みメンバーに加えて、初めて芳野藤丸さんが参加。栗本と藤丸さんの共演は何度かあるものの、栗本がバンマスとして藤丸さんを迎えるのは初めて。しかし、想像以上に素晴らしいサウンドだった。井手麻理子さんのボーカルも素晴らしい。もちろんグレッグ、マーティーも何度聴いてもかっこいい。栗本も頑張った。
そういえば、楽屋に突然ポンタさん(ドラムの大御所)が入ってきて、いきなりマーティーと抱擁していた。写真は藤丸さんと握手しているポンタさん。驚いた。
あまりにもライブが良かったので、その後の仕事を忘れて、2部のステージの最後まで居た。井手麻理子さんをフィーチャーしたライブの次回予定はまったく未定だが、早くも楽しみ。藤丸さんもまた是非お願いします。
このメンバーで楽屋に一緒にいると笑いが耐えない。気のいい連中なのだ。
因みに、芳野藤丸さんは10月18日(土)の夕刻、ミハマ・ニューポート・リゾートのイベントに出演する。詳細は追って。
しばざ記 538
愛宕山(旧NHK愛宕山放送局)への登り口のはす向かいにその建物はある。まっ黒で、窓も無く(実は、細長い窓があるのだが)、「あれはいったい何?」というくらい不気味で、ある意味お洒落な外観。近づくと、「そば処」と書いた看板があって、狭い入り口がある。ようやく食べ物屋さんだということが分かる。そこは、立ち食いそばの店なのだ。
内装も黒で統一されている。どう見てもショットバーのような雰囲気。中央にどんとでかい正方形のテーブルがあり、客はそのテーブルを囲み、向かいあってそばを食べるのだ。一度に15人くらいずつしか食べられないとは思う。先ず、カウンターで注文する。そのカウンターもまるでバーのようである。私が行ったときには厨房に若い男女3人で手際よく調理していた。
私が店に入ったのは午後3時過ぎ。ランチタイムは思い切り並ぶと教えられていたので、空腹を我慢しつつ、予定をあわせた。しかしそれでも、店の中は熱心なその店の支持者が次々にやってくる。私の注文は「温かい鶏そば」。値段は850円。最初からどんなものだというのを聞いているので、ぶっ倒れはしなかったものの、普通のそばからは想像を絶する代物なのだ。
まずそばには白胡麻がこれでもかという具合にたっぷり降られている。そして細い刻み海苔が山のように乗せられている。つけ汁は別の容器に、これまたたっぷり入っている。アツアツで、物凄い濃い色のスープ。表面にはやはり胡麻と、なんとラー油が浮いている。一口すする。強烈な個性。味は濃厚、しかもぴりっと辛い。中に大降りの鶏が入っている。
味はラー油が入っているからどうしても中華風なのだ。果たして、日本そばとの相性はいかに。ということなのだが、これが不思議にマッチしているのだ。そばは太く物凄く硬い。茂野社長が、まるで冷麺のようだよ、と語っていたが、その通り。そういえば、スープもそんな感じだ。生卵も付いている。最初は卵を入れずに食べ、後半に卵を割って入れる。卵を入れるとまた違う味になる。
食べ終わってから、ずっと口の中がひりひりしていた。猛烈に辛いわけではないけれど、あとを引く。立ち食いそばなのに850円という値段は高いけれど、その分ボリュームもあるので、大食漢の私でも腹いっぱい。日本そばの常識を覆した不思議なテイストにかなり満足。硬い麺をすすり、そして噛む感触が今でも残っている。
ネットには様々なリポートがアップされていて、そのどれもが「また食べたい。」とか、「クセになりそう。」とかの感想。私もまったく同感。既にクセになっている。近々また食べに行こうと考えている。今までに味わったことのない強烈な体験だった。同店はあの界隈だけでなく、どうやら全国的にも有名になり出しているとのこと。そのうち真似する店も出てくるだろう。でもあの店構えや、内装、味、接客の方式とか全ての個性を越えるのは難しいだろう。
今まで誰もが考えつかなかった、日本そばに新しい旨さを開発した港屋に心から敬意を表したい。
しばざ記 537
強烈なインパクト。驚きの味。常識を覆す蕎麦。でも、美味しい。つうか、癖になりそう。
そんな「そば」の店が愛宕山(NHKとか愛宕神社などがある)のふもとにある。住所は西新橋。茂野製麺の社長に教えてもらった。今や、あの界隈では大変な人気。お昼どきには長蛇の列。
9月22日(月)の午後に行ってみた。
詳しくは後ほど。
また急にラーメンが食べたくなり、木更津の某店に。
ここ、チェーン店。北海道ラーメンの店。私は初めて。赤味噌ラーメン(650円)とチャーシュー丼(200円)を食べる。赤味噌ラーメンは、まあ無難な味という程度かな?麺は太めでコシがある。チャーシュー丼もまあまあ。値段が安い点は評価できる。そういえば、K苑というチェーン店にもチャーシュー丼がある。ワタシ的にはまあ、K苑よりこちらのほうが肉も大きいし、旨いと思う。だが、ラーメンに関してはタイプも違うから直接比べるというのは出来ないかもしれないが、K苑のほうが好きかな。特にK苑の290円の中華そばはコストパーフォーマンスでは最高!
上は同行者が食べた鶏白湯ラーメン。スープだけ味見した。これはあっさりだった。値段は650円。麺はおそらく味噌ラーメンと同じだと思う。
昨夜はベイタウンの友人と磯辺の「魚よし」に行った。この店、1年ぶりくらいか。若干メニューが変っていたけれど、相変わらずの小汚い雰囲気(おっと失礼、でも私は好きなんですよそういうのが)で、懐かしい。
上の写真はこの店に来ると「なんこつのから揚げ」と一緒に必ず注文する「川えび」。身がぷりっぷりで美味しいのだ。これで300円だから嬉しい。私はこの店に初めて来たのはもう15年くらい前だけど、当時からあまり値段が変っていないような気がする。非常にお財布に優しいお店なのだ。
上は、きんきんに冷えた生ビール(ジョッキは凍らせてある)と、なんこつのから揚げ。ビールは中生が470円。大生が800円。その辺りはちょっと値上げしたかなーっちゅう感じ。最初、ちびちび中で飲んでいたが、一気に大でがぶ飲み。そのうち友人も釣られて大を。
これは「ちくわ明太子」。ご覧の通り、ちくわの中に明太子を入れ、揚げてある。マヨネーズをつけて食べる。アツアツでうまい。完璧なB級グルメだ。
音楽談義をしながら、なんだかんだ言って、 かなり飲み過ぎで、最後には何を喋ってんだか分からなくなる。翌朝(今朝)は、もうふらふらで、気分悪い。この苦しみも計算に入れて飲まないとね。とは言いつつ、また今夜も飲みそうな雰囲気。ああ、俺っていわゆる飲ん兵衛なのね。はずかち~。
冷静に考えてみると、「魚よし」に最初に行ってから20年くらい経ったような気がする。
しばざ記 536
毎年お盆の頃になると開催される帝国ホテルのジャズライブ。今年で5回目ということだ。ライブといっても単なるライブではない。もちろん出演陣もゴージャスなのだが、帝国ホテルの色々なホールやロビーで同時多発的に複数のライブが繰り広げられるのだ。横浜とか神戸、或は阿佐ヶ谷で開催されている大規模なジャズのイベントをひとつのホテルの中に凝縮したようなスタイルなのだ。いや、むしろサマソニに形態が近いかも。
このライブに出演しているのが、先日ベイタウンのイベントにも出演してくださった神村英男氏。そして、杉山茂生氏。ピアノは神村さんのご子息の神村晃司さん。いや~、行きたかった。ただ、豪華なイベントなので、当然ながら料金はお高い。お一人様15,000円なのだ。ひょえ~。俺の昼メシの何日ぶんだい!?でも、でも、一日中たくさんライブを観て、聴いて、時間単価に直せば凄くお得なのかもしれない。私の義父と義母は毎年このイベントに行く。今年は山下洋輔のピアノを間近に聴けて大満足だったと言う。ん~、俺も山下洋輔ファンなのだ。連れていってほしかった。
私の手元にその豪華なパンフレットがある。主な出演者は以下。
阿川泰子、寺井尚子、前田憲男、北村英治、MALTA、ジュリアード・オールスターズ、COCO、Lee Jung Sik、山下洋輔、山下剛、ジョージ川口Jr.(川口雷二)、中村誠一、神村英男、バッキー白片、横山達治、ミッキー・カーチス、ウィリー沖山、金子晴美、Tiffany、ペギー葉山、などなど。
来年は(といっても、殆ど1年後なんだけど)、是非行ってみたい。
結局、一晩中雨が降っていた。風は大したことなかったようだが。
昨晩は雨の中、息子が友達とマリスタに(マリーンズの)応援に行ってた。残念ながら雨が激しくなってきて、同点のコールドになってしまった。勝てば単独3位だったのに。ま、負けないだけでもいいか。
イチローやりましたね!
彼の前のシーズン200安打の8年連続記録は、100年以上昔のことなんだってね。ほんと、偉業だ。
マリーンズもここに来て頑張っとるな。昨日西武に勝って同率3位になった。きわどいけれど、なんとかクライマックスシリーズに出場できるといいのだが・・・。
で、佐野線の後記というか、思い出したことを追記しておく。あの辺りを走っている車輌って、猛烈に汚いのだ。なぜかというと、潰れた虫とか、その虫の体液がめちゃくちゃへばりついているのである。へばりつくというか、粘りつくというか。
そりゃ、田圃の中を走るわけだからしょうがないのだ。でも、館林で電車を待っているときに、一旦電車がバックして、約10分後にまた戻ってきた。何しに行ったかというと、洗車しに行ったのだ。館林の北西の辺りに確かに洗車場がある。
水をしたたらせて戻ってきた車輌は、それでもまた汚い。虫の汁は頑固なのだ。
それから、佐野線に乗って少しゆくと北館林荷扱所があって、そこにアズキ色の渋い電気機関車が2輌止まっている。写真撮っておけばよかった。それ、あとでネットで見たらED5081とED5063のどっちか。なんと解体待ちらしい。勿体無い。
[参照]-----勝手にリンクを貼らせて頂きました。
http://kobin.hp.infoseek.co.jp/final-kamotsu.htm
(東武鉄道最後の貨物列車)
館林の次の渡良瀬駅も面白い。今にも朽ち落ちそうな駅舎。その次の駅もそうだったかな。廃墟じゃないけど、廃墟マニアにはたまらない。
そんなこんなで東武佐野線は非常に魅力的なのだ。また是非とも出かけたい路線である。鉄ちゃんのナッキーさんとか、じょん吉さんはちゃんとチェックしているのかな?因みに終点の葛生は蕎麦の産地でもあり、また旨い蕎麦屋もあるので、お薦め。
佐野からJRで2つ目の駅が足利である。もし時間があれば足利にも寄りたいと思っていた。230円を払って乗車。1時間に2本しかない両毛線である。実はそろそろ時間が無くなっていたのにも関わらず(都内で打ち合わせする時刻が迫ってきていた)、ま、いいか、ってんでそのまま小さな電車の旅は続いたのである。F山さん、すみません。(F山さんには、足利の街を少し見たいので、と言ったら快く打ち合わせの時間をズラしてくださった。有難うございます。)
上の写真は足利の駅で。
私が乗った電車と同タイプ。昼間の空いている時間帯だったので、4人掛けのボックス席にそれぞれ1人ずつが占拠して乗っている。私ももちろんそうなのだ。
これ(↑)は、おそらく昔この路線を走っていたのだろう。足利駅前に飾ってある電気機関車。ひょっとして、ブルートレインを引っ張っていたのと同じ型? >ナッキーさん
残念ながらあまり手入れが良くないようで、上部の塗装の剥げの部分から腐食が著しい。補修するときにはグラインダーで平らにしてから塗るようにすればいいのだけれど、おそらく予算不足なのだろうか、そのままどんどん重ね塗りしているようだ。こういう雨ざらしの展示車輌の状態はどこでも似たようなものかもしれない。稲毛公園のSLなんてオリジナルの風合いもへったくれもなく、ごてごてと厚塗りしてるし。(苦笑)
- 両毛線Data 以下Wikipediaからの情報 -
区間(営業キロ):小山 - 新前橋間 84.4km
軌間:1067mm
駅数:18(起終点駅含む)
複線区間:岩舟 - 佐野間、駒形 - 前橋間
(下の「佐野ラーメン」の続き)
佐野に電車で行くのは初めて。というか、佐野市街を歩いたのも実は初めて。行きはJRで船橋まで行き、そこから東武線を乗り継いで佐野まで行った。遠いけれど、船橋から佐野まではなんと1,030円で行けてしまう。JRだったらおそらく2,500円くらいだろうか。どうせお金を出すなら東武特急「スペーシア」(特急料金1,000円)を使ったほうがより快適な旅が出来る。もちろん帰りにはそれを使った。
船橋からのんびり東武野田線で春日部まで行く。通勤ラッシュがほぼ終わった時刻なので、野田線はがらがら。刈り入れ時の田園風景を眺めながらの各駅停車の旅は快適。途中単線になる箇所がいくつかあって、上下の電車の擦れ違いが懐かしい。柏の駅で、先に停車している大宮行きのほうが早いということで乗り換える。なんと柏の駅は上下とも行きどまりになっている。つまりスイッチバック方式で、例えば船橋から大宮行きに乗った場合には柏から先は一番後ろが先頭になるのだ。
上がその柏の近辺の地図。皆さん、知ってました?
ま、そんなことを含めて、電車の旅は楽しいのである。春日部からは急行で久喜まで行く。たまたま来た電車が東武伊勢崎線だったからで、東武日光線だったら東武動物公園駅で乗り換えなければならない。東武線は埼玉、栃木、群馬の辺りが特に複雑なので、ある程度予習が必要である。久喜からは各停の太田行きに乗る。田園風景の中をひたすら北西に向かう。羽生や加須など、田山花袋(だったっけ?)の「田舎教師」の舞台である。館林で今度は東武佐野線に乗り換える。ここで少し待つ。いやいやそんな調子なので、船橋からたっぷり2時間半以上もかかって佐野に到着したのである。
電車賃は安いけれど、これだけたっぷり乗れるというのは実に贅沢なのだ。こういうのはなかなか出来ることではない。
佐野の町は、高い建物があまり無いので、スカーンとしている。当たり前のように木造の商店がまだまだたくさん残っている。川越のように、これ見よがしに観光と直結してなくて、単に古びただけの店がさりげなくあるので、嬉しい。あと5年もするとおそらく半減してしまうので、このサイトを読んで急に佐野に行きたくなった方々はお急ぎくだされ。
一応、佐野厄除け大師も駆け足だったけど見てきた。テレビで、特に年末になると「関東の三大師」というフレーズのCMがこれでもか、ってなくらい登場する。が、それほど驚くような大きい寺ではない。「関東の三大師」と誇張するのは佐野厄除け大師だけで、他の大師はそういうことを言わないような気がする。それから、金の鐘がぶら下がっていたのには驚いた。もちろんホンモノの金が使われているわけではなくペイントだろうとは思う。そういえば本堂の屋根(のエッジ)もキンキラキンに輝いていた。どうも派手なお寺さんだ。それから田中正造翁の墓所があった。偉人だけあって立派な墓である。
* なんとWikipediaを見たら、関東の三大師は、「喜多院(川越大師)」と「拝島大師」とそして「惣宗寺(佐野厄除け大師)」なのだそうだ。川崎大師は違うのね。(恥)
* 田中正造は足尾鉱毒事件を告発した人である。あの時代に体制に立ち向かっていったわけで、凄い人なのである。
しばざ記 535
この一杯(600円)の為に苦労して行ってきた。
こんなにたくさん東武線に乗ったのは初めて。(笑)
有名店の「とかの」だ。
11時30分にオープンし、麺が無くなり次第閉店。だいたい2時には閉まってしまうというので焦って行った。運良く殆ど並ばずに入れた。私より後に来られた方は10分以上待っていた。
上が外観。ご覧の通り小さいお店だ。すし詰め状態で、そうだなあ、20人くらい入れるかなといった感じ。スタッフは5~6人いた。ホール担当の女性はちょっと美人。休日は長蛇の列が出来るそうだ。
色合いは薄い醤油色。どちらかといえば塩ラーメンに近い感じ。味もあまり醤油っぽくない。非常にあっさりしている。麺は佐野ラーメンの特徴である「青竹手打ち」のちぢれ麺。ぷるるんとした感触がいい。それと、アツアツなのが嬉しい。以前訪れた喜多方の「大湊味平」という店もいつまで経っても記憶に残っているのがアツアツだったことだ。この熱いということがラーメンには非常に大切なのである。
佐野ラーメンを食べたのはこれで4回目である。1回目は、もう10年以上前にどこかのショッピングセンターで。これ、完全にインチキだった。青竹手打ち麺でなかったのは確か。2回目はロケ(撮影)で近辺に行ったとき。その時も郊外のドライブインかなにかで食べたけれど、太めのストレート麺だから違う。旨かったけれどね。3回目は東北自動車道の羽生サービスエリアだったかな。あれはあれで旨かったが、ちゃんとしていたかどうかあまり記憶が定かではない。
で、今回は満を持して臨んだのである。ちゃんと予習もして、どの店が人気かということも把握した。候補は色々あって迷った。でも、大盛にしなければ、もう1店舗も味わえるだろうと考えた。ということで、「とかの」の「大盛150円増し」は見送った。実際に普通盛だと物足りないかもしれない。ところがだ。こういうときに限ってなぜか腹いっぱいになってしまった。あまりにも腹が空き過ぎていたので、その反動かもしれない。ま、それはそれでヘルシーでいいか。(笑)
(続き)
「とかの」のメニューは、ラーメンが600円。チャーシュー麺が900円。その他、餃子とかネギラーメンなどがあったが、メモるの忘れた。ラーメンとチャーシュー麺が300円の差だけれど、この手のお店のチャーシュー麺は、めちゃくちゃゴージャスなボリュームになるので、差額以上のものがある。しかし、私は敢えてイチゲンの店は基本的には「ラーメン」を食べる。そば屋にしても基本的には「せいろ」、いわゆる「もり」を食べるようにしている。決してケチってるわけじゃないのだ。
600円のラーメンを食べるために往復5時間(だったかな?)をかけ、お金をかけ、仕事を調整して行くわけだから、この一杯は猛烈に貴重になるわけだ。費用対効果で言えば、900円のチャーシューを食べるよりも600円のラーメンを食べるほうが贅沢なのだ。って、本当かよ。
しばざ記 534
先ほど、千葉ロッテマリーンズ、BAY-FMでお馴染みのDJコウサクさん達とお会いして、11月24日に開催される「湾岸まるごとゴミ拾い」のイベントの下打ち合わせをした。ゴミを楽しく拾い集めて、海をきれいにしようという企画で、タレントの神田うのさん、サッカーの宮澤ミシェルさん、K-1の小比類巻選手とか、バレーの大林素子さんなどなど著名人も多数参加するイベント。残念ながら私の時間が無くて、早々においとましたのだが、そのうち自治会連合会経由、またはベイタウン商店会経由でベイタウンの住民の方々にも参加して頂くような具体的な内容になってゆくので、皆様、ご協力をお願いします。
http://www.sigma7.co.jp/profile/m_12.html
(DJコウサクさんのブログ)
http://marugomi.jp/
(湾岸まるごとゴミ拾いのページ)
上の写真は、先ほど海浜幕張の駅前のBAD ASS COFFEEでお会いしたDJコウサクさん。ご覧の通り、イケメンだ。
IKSは、私よりおそらく1、2歳上だったので、当時は18歳か19歳だったと思う。高校2年の私と彼が知り合ったのはアマチュア無線で交信したのがきっかけだった。IKSはそのコールサイン。と言っても、彼はアンカバーと言って無免許。即ち不法無線局だった。そのことを知ったのは知り合ってすぐ。彼の友人から無線機を貰ったという。そして暇つぶしに無線機で遊んでいるうちに私と交信するようになったのだ。
彼は、背は小さく痩せていて、貧相にも見えるし、そこそこの顔立ちにも見えた。不精なのか、それともわざとなのか、顎鬚が少し生えていた。自身が自慢するように頭はあまり良くないように見える。ちょっと小悪党のような雰囲気。逆に女性にモテそうな感じだ。職は無く、中学を卒業してから電気工事の会社で2、3年働いていたようだが、数ヶ月前に辞めて、最近毎日ぶらぶらしているという。
彼は、駅に近い木造トタン貼りのアパートの二階に暮らしていた。私が初めて彼の家を訪問したのは夏休みの暑い日の昼下がりだった。錆びた鉄製の階段を音を立てて、痩せたIKSが先に昇る。真ん中の部屋のドアの前で立ち止まった彼は、大きな声で「おう、帰ったぞ。お客さんも一緒だよ。」と叫んだ。ドアは既に開いていて、白いレースのカーテンがドアの隙間からひらりひらりと見え隠れしていた。
中に入るとすぐに3畳くらいの台所になっていて、引き戸のその奥が4畳半の畳みの部屋になっている。そのほかにはまったく部屋はない。意外に小奇麗にしている。その4畳半の部屋には白っぽい涼しげなワンピースを着て針仕事をしている女性がいた。やや大人っぽく見えるけれど、実際には高校3年生くらいの年齢に思えた。彼女は私を見て微笑むと、ぺこりと頭を下げ、座布団を薦める。そして、立ち上がると、台所に行き、コップの音をからんからんさせながら私の飲み物を用意していた。
「あいつな。頭がちょっと足りないんだ。」とIKSが低い声で私に囁いた。「でもな、いい女だろう。あっちのほうは最高なんだぜ。」と下品な笑みを浮かべた。確かにおそらく奥さんだと思われる女性は色白で、目がくりっとしていて、可愛い感じだった。失礼ながらIKSには不釣合いないい女だった。私は、IKSの言葉もあって、どきどきしながら目を漂わせていた。窓には簾がかかっている。その外には今にも二階に届きそうな伸び放題になっている夏の雑草が、影絵のように、微かに吹く風に揺れていた。
小さなちゃぶ台を挟んでIKSと、奥さん、そして私が向かい合い、カルピスを飲んだ。扇風機がブーンと音を立てているほかは静かなひと時だった。部屋は狭いながらも実に機能的に片付けられていた。壁一面に大きな本棚があり、その本棚には文庫本がたくさん並べられていた。私がそれらの本を眺めているとIKSが、「いっぱいあるだろう。それ全部こいつのだよ。こいつ頭悪いくせに本が好きなんだよ。な。」と奥さんに相槌を求めた。奥さんは笑って、こっくりと頷く。
「この人な、K高なんだぜ。知ってるだろ。あの頭のいい学校なんだ。将来は大学に行って立派な人になるんだとさ。偉いだろう。そんな人と知り合いなんだぜ。俺も凄いだろ。アマチュア無線もやってんだ。俺と違ってちゃんと免許持ってんだぜ。」と、IKSは今度は私のことを彼女に紹介していた。K高が頭がいい学校だとか、私が将来立派な人になるとかは、彼の脚色なのだが、それでも彼女は目を輝かせて話を聞いていた。そのとき私は彼女がひと言も言葉を発していないことに気づいた。ひょっとして喋れないのかと思った。
その後1ヶ月の間に2、3回IKSの家にお邪魔した。居心地がいいのと、それから彼女に会いたかったからだ。私にとっては彼女はとても魅力的だった。化粧っ気は無いが、同級生の女子とは比較にならないくらい大人びていた。相変わらずIKSは無職だった。無職になると金が無くなるというのは今でこそ具体的によく理解できるけれど、当時の私にはあまり理解できなかった。この二人、どうやって暮らしてゆけたのか、今思えば不思議だった。
たぶん多少の貯金があったのかもしれないし、奥さんの針仕事で少ない稼ぎがあったのかもしれない。いずれにしても最低限の暮らしを維持するのが精一杯だったに違いない。本来ならば遊び盛りの二人なのに、地味に暮らしていた。車もバイクも所有していないし、未成年だからもちろんだが、酒もタバコもやっていないようだった。
秋になる頃にお邪魔したときには、IKSは不在だった。居れば、すぐに飛び出してくる筈だ。奥さんが玄関のドアのところに出てきて、ちょっと困ったような顔をしたが、「入って。」という仕草をした。私は「また来ます。」と軽く会釈し、階段のほうに歩き出す。すると背中のほうから「気にしなくていいよ。入ればいいのに。」と奥さんの声がした。驚いた。ちゃんと喋れるじゃないか。私は振り返って、しかも、焦りながら、「あ、用事があるので、また来ます。」と叫び、駆け足で階段を下りた。
理由はこれといって無いけれど、その後暫くIKSとは会わなくなった。ある日、家にいたときに自転車に乗ったIKSがひとりで尋ねてきた。中に入ってお茶くらい飲んで行ってほしいけれど、どう見ても怪しげな不良に見えるIKSを私の母は誤解するだろうと、私は慌てて外に出て、家から少し離れた場所にさりげなくIKSを連れてゆき、そこで立ち話をする。相変わらず無職で、毎日が暇だという。それと、奥さんが働きに出ることを彼は言った。
「あいつな、アマチュア無線の免許を取りたいって言ってな、んで、勉強し始めたんだよ。ま、そりゃいいんだけどよ、メシ喰ってゆけねえべや、いっそおまえトルコ(今のソープランド)に行け、って言ったらさ、なんかわからないけど、友達の家でやってる会社の事務職見つけたみたいだよ。」と、IKSは笑いながら、しかもさも得意げに語った。きっと、寂しくてしょうがないないんだろうな、と私は思った。
IKSが私の家に来たのはそのときだけだった。きっと彼は私が避けているのだと感じたのか、それ以来アマチュア無線でも連絡が取れなくなった。冬になった。私は友達と駅前の本屋の前にいた。そこが我々の溜まり場でもあった。本屋には同級生が参考書を買いにきたりして、図書館の次に仲間に出会える場所だったのだ。ふと見ると歩道をこちらに向かって歩いてくる男女が目に入った。IKSとその奥さんだった。二人とも、小奇麗な格好をしている。奥さんを外で見るのは初めてだった。彼女は少し化粧をしていた。そういう彼女を見るのも初めてだった。
私はそのとき、急に友人の影に隠れるような動きをしてしまった。別に隠れることもないのだ。それをIKSにしっかり見られてしまったようだ。私は緊張していた。IKSは、私達の前を通り過ぎるとき、「よう久しぶり」と言った。彼女はいつものように、にこっと微笑んだ。気のせいか、清楚ないい香りがした。私は咄嗟に「買い物?」と聞いてみた。IKSは全然立ち止まらずにそのまま行ってしまったが、意外なことに彼女が一瞬立ち止まり、「そう!」と返事した。本当に一瞬のことである。遠ざかる二人の背中を見ながら友人が「おまえの友達か?」と聞いた。私は、「まあね。」と曖昧な返事をした。
しばざ記 533
昨夜は木更津のMICKというライブハウスで関口宗之さんがメンバーである"O-ju Jazz Punx”というグループのライブだった。ジャンルはフリージャズ。そういうの、結構好きなのだ。関口さんは8月のauneで開催されたイベントに出演してくださった。私好みのベーシストだったのと、今回のライブが実家から近いというので、それで早くからこの日を楽しみにしていた。
ライブ開催は20時30分。それまで山で草刈りをしていた。途中、平山のヤキソバを食べに行ったり・・・(あ、それは下に書いた通り。)。その後シャワーを浴びて、着替えをして、まるでデートに行くような気分。妻子は今夜はマリスタでマリーンズの応援をしているのだ。
LIVE HOUSE MICK
http://www.geocities.jp/mick238139/
上の写真がO-juの演奏。手前のサキソフォーンはヤマナマジュンジさん。ハイテクニックと、ユニークな音(生音とエフェクターを使って音を加工している音をミックスしている)と、そして大胆なフレーズ、ひと昔前だったら、こういう音楽を前衛的とでもいうのか。めちゃくちゃかっこいいのだ。後ろが関口さん。先日のスタンダードを弾いているときとは打って変り、物凄い形相でベースと格闘しているような演奏。端正な顔立ち、穏やかな性格とは裏腹なこの演奏っぷりが妙に凄味を感じる。
フリージャズというと、難解だと思われる方も多いだろう。確かに中にはそういうカラーを強く出しているバンドもある。でも、O-juは、意外にメロディアス。あまりジャズを知らない人でも結構楽しめると思う。それにそれぞれのソロパートでのパフォーマンスが素晴らしい。菅原光則さんの、ジョンボーナムが手で叩くようなドラムのソロは是非また聴きたいのだ。キーボードの中島さんの感性も良かった。因みに、こんな凄いバンドなのにチャージ無料。ありがたや、ありがたや。
O-ju Jazz Punx
http://home2.netpalace.jp/o-jujazzpunx/
なんと今更新が出来ない状態らしい。
そうだ。付け加えておくと、サックスのヤマナカジュンジさんはギターもテクニシャンだった。押尾コータローっぽい、いや、もっと独自の奏法でインストを2曲ほど披露してくださった。チューニングは6弦をDにしているそうだ。このギターだけでもベイタウン・コアで、聴いてみたい。
話は変るけど、最近、ベネズエラのN子さんからメールを頂戴した。
お元気だそうです。
んで、このブログを読んでくださってるそうです。有難うごぜーますだ。
ところで、MICKは好きなタイプのハコだ。地下じゃないから圧迫感が無い。壁にかかっているギターもいい感じ。第一実家から散歩がてらに行ける距離なのが嬉しい。ビールも大ジョッキで飲める。やっぱビールはジョッキだよね。お通しが"さばの味噌煮"だったのは驚いた。しかも、それが旨いのだ。
マスターとも話が弾んだ。自身もギター弾きで、岡林信康とか高石ともやの弾き語りもされるそうだ。今度、ステージでご一緒させて頂くことになった。ちと高石ともやの練習しなきゃ。
上の写真の左、壁に掛かったギター。これ、全部マスターのもの。他にストラトも所有。根っからのギターマニアなのだ。
この(↑)左のお方がマスター。昭和28年生まれ。本業は建築関係らしい。
10月4日には同店のオープン4周年記念のイベントが開催され、マスターも、マスターの奥さんも出演する。
掲示板にも書いた通り、昨日(9月13日/土)、平山駅前にあるヤキソバの専門店「志保沢」に行ったのだ。ここ、かなり前から知ってたけれど、ナッキーさんの書き込みに触発されて初めて行ってみた。割合有名な店で、以前はお爺ちゃんがやっていて、お爺ちゃん亡き後は御婆ちゃんが、でもお婆ちゃんも亡くなったそうで、その娘さん(といってもおばちゃんだ)が調理から何から何までを一人でやっている。
私が行ったのは夕刻の4時過ぎという非常に中途半端な時間帯。私のほかに先客が一人いて、ちょうど注文の品(650円のヤキソバ)が運ばれてきたところだ。まず驚いたことに、650円のそれはとても大盛だったことだ。おばちゃんが私に「それでは簡単に(メニューについて)説明します。」と、壁に貼ってある稚拙なメニュー表を指しながら話始める。とても早口だ。焦っているような感じ。他にお客さんがいないのに。
要約すると、キャベツと天かすの入ったヤキソバは、こども用が350円、女性用が450円。男性の普通盛りが550円。以降も1050円まで量のバリエーションがあり、ソーセージ入りだと100円高、ソーセージと肉入りだと200円高と、非常に明快なものである。以前は焼きうどんもあったそうだが、今はヤキソバのみ。私は、先客の量を見てびびったので、550円のキャベツと天かす入りを注文する。実はそれほど腹が減ってなかったのである。
おばちゃんは一所懸命ヤキソバをつくっている。そして、先客は黙々とヤキソバを食べている。何故か不思議な空間だった。少しして、お客さんが入ってきた。いや、実は道を尋ねる人だった。おばちゃんは非常に迷惑な顔をしながら、説明していた。物凄い早口だった。基本的には親切な人なんだろうけど、何故か焦っている。普段もこんな感じなのだろうか。
さて、ヤキソバが運ばれてきた。普通盛りとは言えども、普通のお店だったら絶対に大盛りだろう。いや、二人前くらいありそうだ。空腹じゃなかったので、若干躊躇したが、なんとか完食。屋台のヤキソバとはちょっと異なる、ちょっとチープな味だ。どちらかというと、私が時々余った細めのうどんとインスタントのヤキソバのソースにしょうゆやみりんを加えたオリジナルソース(というほどのものではないけど)でつくる焼きうどん(?)に似た味だ。いやほんと。
昔の大衆食堂を思わせる店の造りも懐かしい。座敷になっているところに、新聞紙が大量に広げられている。後で分かったのだが、それは持ち帰り用の包装紙として使っているようだ。ピーク時は店で食べる人と持ち帰りを待つ人の列が出来るらしい。うーむ。私のつくる焼きうどんもこの街道に店を出したら売れるだろうか。
↑ 私の注文した550円のヤキソバと、志保沢の外観。
↑ 志保沢駅のホーム。誰もいない。列車もいない。
向こうの右手のほうに見える特徴のある山は上総富士。周辺に上総富士カントリークラブ(ゴルフ場)がある。
↑せっかくなんで久留里線も撮る。
実は翌日(9月14日、おっと今日だ)の撮影。
(木更津の実家に泊ったので)
最悪の事件だな。食品関連の会社があんな出鱈目なことやってたら、命がいくつあっても足りない。だいたい安全じゃない食品が出回っているこんな世の中ってなに?
成分表示の、まさか書かれているものがインチキだってんだから、いったい何を信じればいいのだ。菓子の賞味期限がどうしたこうしたなんて、今回の事件に比べたら実に可愛いものだ。なんたって今回の事件で明るみになったのは、我々は知らない間に毒の米を食わされているわけだ。凄すぎる!
事故米=工業用。そんなカテゴリーの米があるなんて、今回の事件が無ければ知らなかった。事故米を食用米として流通させていた。それって、カレーだと言って、実はウンコだったというくらいタチが悪い。もっと非道いかも。比喩も酷いけど。
昨日は木更津泊でした。関口さん(b)が出演するライブ(木更津MIC)に行くために、無理やり用事つくって出かけてました。民代も絶好調でした。ただ、パワーが少ないのか、草が絡まってしまうことが多いですね。正雄のときにはそうでもなかったのに、ちょっと面倒です。
写真撮るの忘れたけれど、葛の直径15センチはあろうかという太いツルを発見。いや、驚いた。何年でそこまで成長するのだろうか。報っておくと、草原や山林も葛だらけになってしまうくらい恐ろしい植物なのだ。
http://www.twoface.co.jp/nonsmoky/index.html
10月19日(日) ミハマ・ニューポート・リゾートに出演。
(ほか、モエやん)
(TOSHIKIも特別出演か!?)
ノンスモーキー石井さんの事務所のM田社長さんは千葉県出身(確か稲毛界隈)。芳野藤丸さんに可愛がってもらったという恩義を感じて、その辺りの経路で今回の出演になった。H野さん、よろしくお願いします。
マイブームはBettyさん。あの気持ちのよいけだるさはクセになりますね。また聴きたい。
それは私だけ言ってるんじゃなくて、同じことを言ってる人はほかにもたくさんいるのだ。
あのイベント(アウネマクハリ・ジャズ・ナイト)はサイコーでしたね。
同イベントについて、たくさんのメールを頂戴し、有難うございました。
http://members.at.infoseek.co.jp/m_baytown/aune/aune_jazz01.htm#d3
今、野田ユカさんとBettyさんのユニットをプレゼン中。
あまり期待しないで待っててね。
(おっと、まだユカさんには言ってなかった。)(汗)
もうひとつのマイ・ブームは、The Crusaders(ザ・クルセイダーズ)。私がライブ等のマネジメントしている栗本修のテイストがこの辺り(年代的なものとジョー・サンプル的なもの、など)である。元々私も同世代なもんで、1970年代には自然に耳に入っていた音楽。ベースラインなんて、古臭い感じなんだけど、この雰囲気がたまらない。KRONIZCKを知ってる人は、栗本がどこからあの雰囲気を持ち込んだかというのを探しながら聴くのも楽しい。
今や、国民の誰もが薄々感じていることだけれど、この国のあらゆる部分を動かしているのは、政治でも企業でもない。はっきり言って、マスコミだ。マスコミが国民感情をコントロールしていると言っても過言ではない。昨今の大相撲の問題にしたって、星野ジャパンにしたって、マスコミが情報操作してるので、ああいう事態になる。モナもその例外ではない。だいたい不倫がいいとか悪いとか言う前に、こっそり後をつけていって、「ホテルに入るところを見ました。写真もあります。」なんて、なんという卑怯者なのだ。格式だ、伝統だ、大和魂だなんて、自分達には出来ないことを背負わせて、それでその意にそぐわないと、国民感情を煽って、散々なじる。いっぱしのツラして、「横綱の品格をどう思ってますか?」と詰問している記者の品格はいったいどうなってるんだ。まずおめえがもっとちゃんとしろよ、と俺は言いたい。
今回の大麻問題で解雇された若ノ鵬にしろ、大麻を所持していたといことで、法に抵触したのは確かだが、あれだけ謝ってるし、しかも、散々メディアで叩いたんだから、もう十分な社会的な制裁は済んでいるわけで、マスコミとか世間とかを気にせず、そこはその相撲協会の独自の判断で、再雇用してやれよ。あの若さで、ロシアから出てきて、何年か頑張ってた力士をだよ、一度の過ちでとっとと国に帰れ、なんてあんまりじゃないか。マスコミとか世間とかを気にしすぎじゃないか。どうせならもう相撲協会自体が嫌われてもいいから、温情を見せてみろよ。逆にこれまで相撲嫌いだった人たちも見直してくれると思うよ。頑張れ若ノ鵬。頑張れ相撲協会。そして、頑張れ大嶽親方(元貴闘力)。
筆者は貴闘力のファンであったのだ。
しばざ記 530
同業のNachyさんが自戒を込めて(?)なかなかいいことを言っている。
http://baytown.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=390&summary=on
ちょっと私がおちゃらけなこと言い始めて、台無しにしつつありますが、ま、しかし、彼の言っていることは確かなのだ。偉い!
Idetsukaさんが一旦九州から戻ってこられた。これから毎日慌しく荷物の整理などをし、そして、12日後に九州の人になる。ま、送別会というわけじゃないのだが、寸暇を裂いて、一緒にランチでもしましょう、ってことだったので、Idetsuka夫妻と、英語の先生のAS氏と一緒に新検見川の岷江(みんこう)という中華料理の店に行った。
場所は新検見川駅から北に約10分。東大グランドの角の交差点を右に折れるとすぐだ。Idetsuka夫妻はこの店を十数年も前から知っているそうだ。以前は検見川浜のほうにあったらしい。ランチは1500円。結構ボリュームもあるし、ご飯もおかわりできる(1杯だけ)のが嬉しい。味はなかなかよかった。このボリューム、この味ならお値段納得。安い。デザートも美味しい。私の知っている中華の店だったら、2000円以上しそうな感じだ。
4人だったので、それぞれ別々のメニューを注文して、みんなで色々と取り分けて食べた。満腹。帰りには寄り道して、やはりIdetsukaさんのお薦めの和菓子屋さんに寄り、それぞれ「みたらし団子」やら「えだまめ団子」や、「水ようかん」などを買った。
とろとろの肉と青梗菜が旨い!
この店の前の道は何度かクルマで走ったことがあるけれど、今まで見過ごしていた。
Idetsukaさん夫妻。奥さんの明るい笑顔も見られなくなってしまうと思うと寂しい。
しばざ記 529
チャリティーコンサート(天晴くんを救う会事務局)
日時: 9月27日(土)13:00~20:00
場所: 地ビールのお店「ウッドハウスカフェ」
〒260-0044 千葉市中央区松波1-14-11
TEL 043-308-9181
http://www.woodhouse-cafe.jp/
出演:(1)セッション
宮崎勝央(sax)、関口宗之(bass)、外山安樹子(piano)
(2)バンジョストンパーズ
オールデイ チケット2,000円(ワンドリンク)
これ、別にチャリティーじゃなくても、行きたいので、ま、それがお役に立つなら、とにかく行っちゃいますね。関口さん、よろすくです。
ベイタウン在住で、友人のK氏のご子息の同級生を助けてください。
現在、心臓の病で入院中とのこと。
以下、ご参照ください。
千葉県千葉市在住の岩田天晴くん(13歳)は2008年2月に拡張型心筋症を発症し、現在、東京大学附属病院に入院中です。右心不全もある重症心不全で、心臓の状態は極めて悪い状況です。
拡張型心筋症は、心臓の筋肉が拡張し薄くなり、やがては死に至る特定疾患指定の難病で、天晴くんのように悪化すれば、心臓移植以外に助かる途がありません。
(以下、略)・・・詳しくは以下のホームページにて。
http://www.tensei-aid.com/
天晴くんを救う会
先日我が家で稼動し始めたVistaのNOTE。
新しいのはやはり気持ちがいい。同時に導入した高速(当社比)無線LANも気持ちがいい。でも、Vistaって、どうなのよ。今のところXPのほうが使い心地がいい。これを打ってるのもXPだし。
ま、慣れるまではしょうがないのかねえ。
会社の引責辞任ってのは、上からの命令とか、命令が無かったとしても、その社風がそうさせたような事件は、上司が責任取って然るべきだろう。明らかに組織が生んだ犯罪はそうだ。社員個人の倫理観の欠如で起こった事件についても、ある程度会社が責任を取らなくてはならないのも分かる。でも、前にも書いたけれど、俺は朝青龍の問題は問題だと思ってないし、ここのところの大麻問題なんて、全部個人の問題だと思うよ。親方が、「大麻くらい吸ってもいいじゃねえか。」なんて言ってたんだったらまだしも、こっそり吸ってやがる力士をどうやって監視すんだよ。だから、それが原因での辞任はいくらなんでも可愛そうだ。
例えばさあ、テレビタレントが大麻吸ってたからって、そのプロダクションの社長が辞任するか?
テレビ局の社員が大麻吸って、あるいは破廉恥な事件を起こして、そのテレビ局の社長が辞任するかよ、おい。
なんか、相撲協会に関してはなんでもかんでも理事長が悪者になってるけど、メディアが面白がって話題づくりしているだけのような気がする。例の朝青龍が休場中にモンゴルでサッカーやってたと、さも鬼の首を取ったように連日報道していたテレビ局。モンゴルに一時帰国していた朝青龍にまるでストーカーのようにつきまとっていた。もう世間が飽きてきているのに、メディアが無理やり問題を引っ張っていたような気がしてならなかった。暴力事件についても、必要以上に感情を煽り立てるような報道をしていた。わけのわからない某元横綱兄弟のおっかさんが出てきて、めちゃくちゃな解説したりと見ちゃいられなかった。横審の奴らだって叩けばホコリの出る体だろが。横審の会長の海老ジョンイルだってNHKで色々あったんじゃないの。
「伝統」、「格式」、「日本古来」という言葉を面白がって遊んでいるフシがあるよね。なにかっちゅうと、その言葉を浴びせて罵倒したり、責任を追及したりする。おまえら何様だっちゅうーの。自分達が出来ないことを彼らに押し付けて、それで文句ばっかり言ってるのなんか誰にだって出来るわけだ。理事長がたじたじする姿を見て溜飲を下げている奴がいかに多いかっつうことだね。北の湖を叩くってのはよほど気持ちがいいんだろうね。もし北の湖理事長の立場が長島茂雄氏だったら、あんなに叩かれないだろうって気もする。
北の湖っていや、あの時代のヒールで、俺の周囲にも彼のことを嫌っていた奴は多かった。あ、俺もどっちかってえと強すぎて嫌いだったかもしれない。でも、引退間近なとき、どうも相撲に精彩を欠くようになってから密かに応援していた。かつての王者が段々衰えてゆく姿に哀愁を感じるのも手伝って、いつの間にか応援せずには居られなくなったのだ。。あのふてぶてしい態度だって、単にシャイだからじゃないかと理解していた。現在の理事長の立場で、要領の得ない話っぷりをメディアは叩くけれど、俺は逆に実直さを感じるんだけどねえ。
しばざ記 528
豊臣秀吉の家臣(五大老)に備前の宇喜多秀家という人物がいた。関が原の合戦では西軍の副大将を務めた。戦に破れて一時薩摩に身を寄せ、しかし、駿河の国に幽閉された後に八丈島に流刑になる。その後一度も本土に戻ることなく83歳で没。流刑になってから約50年後である。
34歳という若さで流刑になった秀家はきっと、本土に残した最愛の妻、豪姫のことやら懐かしい備前の国などを想い、来る日も来る日も波の彼方をずっと眺めていたのだろう。悲劇の人物として、宇喜多秀家の関連の書籍はかなりあるので、参照されたし。
いきなり歴史モノから入ってしまった「しばざ記」だが、実はそんな高尚なテーマではない。「どっちを向いて生きているか」の分かりやすい事例として宇喜多秀家の島流しを挙げてみたのだ。そう、秀家が毎日見ていた本州の方向。それは北の方角である。岡山だったらやや西寄りになる。彼は約50年間、おそらくずっと北の方角を見て暮らしていたのだ。
もっと分かりやすい事例を挙げると、戦国武将は京を目指していた。京に出ることは天下を取るという意味合いであり、間違いなく京都の方向に向いていた。もちろん身体の向きが京都を向いていなくても、気持ちが京都に向いているので、この場合、「京都を目指して生きていた」ということが言える。「どっちを向いて生きているか」はある意味、「憧れの地はどっちの方向」か、ということでもある。「地点」ではなく、「方角」なのだ。自分を基点とした矢印なのだ。
一時的なものもある。「夏が来れば思い出す。遥かな尾瀬・・・♪」という歌。あの歌を歌詞をしっかりと噛み締めて歌えば、実際に尾瀬の方向を意識が、身体が示している。体内の羅針盤がしっかりとその方向を示している。尾瀬に行ったことのない人でも、日本地図が頭の中に入っていれば、それは可能だ。言うまでもなく尾瀬は群馬県と栃木県、福島県の県境周辺の日本を代表する湿原である。具体的な場所の認識が無い人は架空の場所、例えば湯布院などの近くを連想しているかもしれない。
武田鉄矢の場合、九州から吉田拓郎に憧れて東の東京に出てきて、苦労した挙句に大成した。彼は若かりし頃、ずっと東京を見て、東京に向かって生きていたのだろう。彼ばかりじゃない。当時のシンガーソングライターは東京に出て一山当てたいと考えていた。あるいは華やかな芸能界に憧れる、例えば、ちょっとイケメンの田舎の兄ちゃんなんて、山の向こうのそのまた向こうの東京に向かって、いつかこの村さ出るだ、なんて思いながら暮らしているのだろう。更に具体的にジャニーズ事務所がある六本木辺りを向いていたに違いない。
このように、それぞれ人間にはどっちの方向に気持ちが行っているか、というのがある(と思う)。方向性と言うのが単に方角のことではなく「どういう人間性を目指すか」なども含まれているのとは異なり、私の言う「どっちを向いて生きているか」は、単に方角だけのことを言っている。好きな人がいる地を憧れの地としてイコライズする女の子もいるだろうし、ビートルズ発祥の地のリバプールをメッカだと感じている人もいるだろう。何故そんなテーマを持ってきたかと言うと、最近私の目指している方向がかなり分散してきていて、自分なりに整理しようと思ったからだ。
さっきの続き。その田舎の兄ちゃんが東京に出て早2年。どうもなかなか現実は厳しくて、配管工の下働きをして生計を立てるが、そろそろ田舎に戻ろう。そんなことを思い始めると、気持ちは田舎の方を向いている。板橋区の小さなアパートの部屋の西に向いた窓からはどうにかこうにか空が見えて、故郷である少し北の方向を眺めて目を潤ませる。兎追いし彼の川、小鮒釣りしあの川。そんな感じだ。でも一方、アパートの廊下側の更に南東方向にあるジャニーズ事務所にも気持ちが多少なりとも向かっている。苦労しながら、彼はその後約5年は東京暮らしをした。いよいよ芽が出ないと判断した彼はふるさとに帰るのだ。
彼は故郷の新潟(急にそういう設定にした)に戻った。故郷の仲間はみんな彼を暖かく迎えてくれた。いい仕事も見つかった。いつしか見合いをし、そして家庭を持った。順風満帆な生活が続いた。つくづく俺は故郷に帰ってきて良かったと思った。しかし、彼は雪を抱く県境の高い山々の向こう。そのまたずっと向こうの東京に未練があった。汚いアパートの生活、別れた彼女のこと、優しい近所のおばさんのこと、幻に終わった芸能生活のことを、東京の方面、つまり南東の方向に思いを馳せているのだった。
私の事例でいうと、高校生まで木更津で過ごす。その頃は間違いなく東京に(身も心も)向いていた。木更津からだと東京は東京湾の向こう側にある。北西方向だ。海に向かって立てば、天気の良い日は東京タワーが見えて、ますます東京に出たいという気持ちが高鳴っていた。でも、友人には東京なんてまったく意識に無く、木更津の繁華街の方に向かっている奴もいた。あるいは、せいぜい千葉か船橋。そこが北限の奴もいた。それは別に不思議でもなんでもない。釧路の友人は、ずっと札幌に憧れていたというし、佐賀の知人も「将来は博多に出て・・・。」という夢を描いていた。関西地区だったら、大阪、神戸というのがそれに当たるのだろう。
高校を卒業して私は迷わず東京に出た。国立の茨城大学(水戸市)も蹴って(というとかっこいいけど)、都内に住んだのだ。東京に行くと木更津では習得できない文化のようなものを身につけられると思ったからである。そういう意味では私も単なる田舎モノだった。中村雅俊主演のテレビドラマ「俺たちの旅」みたいに、アパートに住んで、仲間がいて、酒があって、という生活をしてみたかったのもあった。で、それはそれで実現できたし、その頃出会った仲間や学んだ社会体験が私の人生の下地になった。大いなるプラスだったと今でも思っている。
都会暮らしは便利だし、楽しい。それなりの収入さえあれば、ずっと都内に暮らしていてもよかった。しかし、いつしかどうも都会よりも田舎に惹かれていった。週末になると実家の木更津を通り越して鴨川辺りの海に出かけたり、あるいは湘南へ繰り出し、また立て続けに北アルプスに登山に行ったりという行動パターンだった。暮らしている場所が都会だからかもしれない。元々田舎モンの血がそうさせていたのかもしれない。その頃の私は「どっちを向いて生きていたか」と言えば、都心を中心としてそれぞれの田舎を向いていたということになる。鴨川、北アルプス、三浦半島、富士・箱根、湘南。おっと、湘南は田舎ではないな。
今現在、幕張ベイタウンに住む私が向いている方角はやや南の方角である。それは私の故郷である木更津もあるのだけれど、その先の房総半島の反対側の鴨川である。鴨川に住んでいても絶対に困らない生活が出来るんであれば、今すぐにでも鴨川に引っ越してしまいたいくらいだ。勝浦だって、御宿だっていい。とにかく太平洋側に住みたいのだ。だから、南南東の青い空を見るたびに、ああ、いつしか、鴨川に行きたいなと思っている。だが、どうもそれは叶わぬ夢になりそうな気もする。なんとなく中途半端な土地が終焉の地になりそうだ。
とりとめの無い話になってしまった。「どっちを向いて生きているか」なんて、普通そんなに意識している人っていないかもしれない。以前書いた「土地に執着する人/しない人」に似ているかもしれない。だから土地に執着しない人って、そんなに方角とかあまり気にしないのかもしれない。ここまで読んで、「なんだこの野郎、ちっとも面白くなかったじゃねえか。ばか。」とお叱りになられる方、まあ、戯言としてさらっと流してくださいな。たのんます。
しばざ記 527
我が家に遂にVISTA搭載のノートPCが導入された。といっても、アキバまでしこしこ買いに行ったのだ。気に入ったブツが近所の家電量販店に置いてなかったのと、通販だと数日後になってしまうので、そんならいっそ買いに行ったほうがいいと判断した。アキバでジャンク屋の冷やかしも兼ねた散歩も楽しめるのだ。土曜の午後、電車に揺られて、まずは野暮用のある神田まで行く。神田辺りは平日より確実に人が少なくてすっきりしていた。神田まつやにも顔を出した。若旦那が忙しそうにしていた。そこからアキバの電気街までは僅か。昌平橋を渡り、目的の店に行くまで、ちょっとジャンク街を彷徨った。2GBのSDカード(しかも東芝製)が680円で売っていたので、すかさず購入。びっくりだ。1年くら前に2GBのサンディスク製のSDカードを7,000円くらいで買ったのに。いや、その7,000円で買ったのもその時は安くてびっくりしていた。数年前に512MBのSDカードを1万円くらいで買ったような気もする。その前は128MBのスマートメディアが1万円くらいした。
さて、私の求めるノートPCを売っている店は価格COMで見つけた安売りPCの店。案の定、めちゃくちゃチープな店構えで、販売員の兄ちゃんもどことなくやる気の無さそうな感じだった。ま、そりゃそうだろう。この手の店なんて、アフターなんて全く無いし、売りっぱなし。私のように、単に安く買いたいという人だけが来る。だからというわけではないが、この手の店はちょっとうら寂しい路地に面していたりする。最もディープなアキバの地域である。二階がメイド喫茶だったりする。PC屋のくせにアキバ名物のおでん缶も売ってるし、ジャケット無しの怪しげなDVDも置いてある。
現金と引換えに、ブツを受け取った。ブツはこれまたチープで大きな紙袋に無造作に入っていた。私の買ったのは、今、主流の15.4インチのものではなくて、14.1インチと、やや小降りのものだけど、結構重かった。普通、ある程度重量がある買い物すると、プラスチックの取っ手もつけてくれるだろうけれど、細い紐みたいなもので、ぶら下げて歩くにはすぐに手が痛くなる。我慢、我慢。私は人ごみを避けて、神田の駅を目指した。そう、秋葉原の駅は人で溢れかえっていると思ったからだ。
須田町(靖国通り)の交差点に差し掛かった時だ。うどん屋の前で、高校生の男と三十代の男が猛烈に口論していた。今にも飛び掛ろうとする三十代の男を、おそらく同僚だと思われる男が必死に抑えていた。二人とも別にどこにでもいるような普通の高校生とサラリーマンだ。ただ、高校生は女の子と一緒だった。女の子はちと色っぽいというか、マセた感じだった。一方のサラリーマンのほうも、酒に酔っ払って単に因縁つけているようなタイプではない。お互いに好青年という感じである。私はたまたま信号が赤だったのもあるが、そこに立ち止まり、2mくらいのところで見学していた。周囲にもたくさんの大人がいたが、誰も止めようとしていなかった。
最近の喧嘩はいきなりナイフなどを取り出して、というルール無用のタイプが多いけれど、この喧嘩はそういうような展開にはならないと周囲が見ていたのか、割合、のんびりした、むしろ微笑ましく思っていたのだろうか。私もすぐ近くで見ていても、全然緊張感も無く、どうせすぐ終わるだろうと思っていた。ところが、高校生が「こら。ぼけ。謝れ。こら。謝らんかい。」と言った途端。サラリーマンが急に静止役の同僚の手を振り解いて、高校生に飛び掛っていった。高校生も負けるもんかと応戦する直前に、例の同僚が二人の間に割って入り、寸前のところでサラリーマンの男の軌道を逸らした。高校生は一瞬相手を見失ったが、尚もぐんぐん近づいて、「これ。おんどれ。」と騒いだ。
ここで実は私が高校生にかちんと来た。こら。おめ、年長者に向かって、何言ってんだ。てめ。おめえこそボケだろうが。おじさんが身を持ってわからせてやるから覚悟せい。と、言いたいところだが、「おっさん何言ってんだ。」と言われるのが関の山というのもあるだろうし、だいたいどっちが本当は悪いのかも分からないし、それに私はノートPCの手提げをぶら下げているのだ。なので、係わり合いにならないように心掛けた。いきなり、若い頃のマッチにも似た高校生が飛び蹴りを繰り出して、大事なノートPCを壊されたらたまったもんじゃない。さっき買ったばかりなのに、「すみません、初期不良です。」なんてのこのこ店に戻るような図を想像してしまった。
信号が青に変った。大部分のギャラリーはその場を離れて横断歩道を渡り始めた。仕方ない。私もそれほど長い時間そこに居るほど暇じゃないので、慌てて交差点を渡った。んー、でもどういう結末になったのか非常に興味ある。体格的にもそれほど変らないし、経験値とか年齢的なもののハンデも互角だと思うし、いっそ殴り合ってみるのもいいかもしれない。たぶん周囲で見ていた大人たちもそういうのを期待して見ていたのかもしれない。どっちが悪いのか、そんなことよりも、高校生は彼女の手前、サラリーマンも世間体みたいなものを背負っているのだろう。後に引けないという状況をそれぞれが作り出してしまっているのだ。
まあ、しかしだ。確かに生意気な高校生だが、「ごめん、ごめん。おじさんが悪かったよ。許してちょんまげ。」と言うだけで事は片付くと思うんだけどね。それを三十代のサラリーマンはなかなか言えるもんじゃないんだよね。そういう意味では私はえらく歳を食ってしまったなあ、なんて帰りの電車の中でシミジミと思ったのである。
しばざ記 526
栗本が主宰するユニットの井手麻理子さんをフィーチャーした第2弾のライブ。お馴染みグレッグ、マーティーのサポートに、ギターとして芳野藤丸さんが参加する。藤丸さんのテイストと、あの超ウマのリズム隊のがどんな融合をしてくれるのか、それは観ての、聴いてのお楽しみ。藤丸流の軽快なカッティングと井手麻理子さんの歌の相性はばっちりだと思う。そしてメロディアスで、メロウな栗本のピアノもますますいい感じ。是非是非お出かけくだしゃんせ!
9月22日(月) 青山マンダラ
http://www.mandala.gr.jp/aoyama.html
感動です。
1963年のシャープ&フラッツの音だそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=mbcmRfA7s6w
やっぱ、凄いドラマーです。
日本のトップクラスだと改めて思いました。
このYOUTUBEのURLを教えてくださったのは、Chinclockさん。
以下のページをご覧になって私にコンタクトしてくださったようです。
有難いことです。
http://www.geocities.co.jp/baytown_oretachi/jimmy/jimmy_past.htm
その他、Chinclockさんはビッグバンド系の動画をたくさんYOUTUBEにアップされてますんで、皆さん、観てください。
しばざ記 525
昨夜は、ベイタウン夏祭り実行委員会の反省会(打ち上げ)だった。
ビールがうめぇ!(立て続けに3杯飲んでしまったのだ!)
まずはお疲れさんでした。
続いて、意見交換。「それほど大きな問題も無く、無事に終わった。」というコメントをそれぞれの役員さんが発していた。その通りである。しかし、出席者からそれぞれ問題点を提議し、次年度のイベントに向けて改善するようなことを話し合った。
私は殆どコアの中に居たので分からなかったが、盆踊りに参加する人も例年以上だったし、移動動物園も盛況だったという。イグアナとかヘビは大好評。ヘビを触って、「わっ!冷たいっ!」と叫ぶこどもたち。ヘビを触ったり首に巻いたりする為の列はかなり長かったという。綿あめも同様。パフォーマンスステージも凄かったらしい。残念。少しは見に行きたかった。
↑ 商店会の新人さん
2番街の「ひきだし」の店長さん。奥は、セオサイクルさん。
今のマシーン。どっちかってえと、曲線的だし、女性っぽい。正雄の名前は武骨な兄貴に譲って、民代と名づけることにした。いきなり正雄が民代になって、正雄が兄貴の名前になってしまう大胆さは、いくら俺がいいかげんな奴だと思っても、旧正雄、今の民代は予想だにしなかっただろう。ざまみやがれ。
ということで、私の草刈マシーンは、これから草刈民代となったのである。民代ちゃーん、今後も一緒にミッションしようね!!
右が今年から活躍している正雄ちゃん。
左は親の代からずっと頑張っていて、春先に引退した正雄ちゃんの兄貴。残念ながら名前が無い状態のまま引退してしまった。
森の中では色々な面白いものを見つけるが、カメラを持っているときには逆に発見が少ない。今回はとりあえず、これ(上の写真)かな?
単なる樹液なんだけど、縦5センチくらい、幅3センチくらいのサイズ。ぷよぷよっよした感触がある。ちょっと気持ち悪い。これ、固まると、かなり硬くなるのだ。
草刈りの後は、コレ(上)だよね。
冷たいビールを、きゅーっとやるのもいいけど、こいつにちょっと多目の焼酎入れて、急速に気持ちよく酔っ払っちまうのがベター。どわっはっは。
しばざ記 524
午前10時。見上げる空はまるで真夏のようだ。
さて、これから、草刈りに行ってくるでござんす。
8月殆ど休みなく仕事したから、今日はバカンスのつもりで思う存分、草と戦ってくるのだ。気合十分。(笑)
でも暑そうで、ちょっとめげてる。ま、暑いほうが、思い切り汗かいて、ちめたいビールが飲めるので嬉しいのだ!!
それと、またメールをたくさん溜めてしまいました。レスポンスが悪くってごめんなさい。お許しを!!!
では行ってきま~~す!!!
9月だ。あっと言う間。例えば、つい2、3日前と気候的には何ら変化は無いのだろうけど、8月と9月じゃイメージが全然違うのだ。8月の終わりに熱く激しく燃えた炎の如き恋も、9月に入るとよそよそしくて、仕舞いには「あんた誰?」ってな関係になってしまうようなイメージがある。いっそ、9月を8月に組み込んじゃって、そう、8月を61日にするってのはどうだろうか。そうすれば、ずっと8月のままの気分でいられるのかもしれない。って、そんなこたぁねえか。
昨日もヘンな天気だった。日中、絶対に雨が降らないと確信していたのに、雨が降ってきやがった。私は一日中デスクにかじりついて溜まった仕事をやっつけていたので、雨が降ろうが雪になろうが関係無いっちゃ無い。でも、窓の外にいい感じのウロコ雲が見えているのと見えていないのでは気持ち的なものが違う。一日、すかっと晴れる日が待ち遠しい。
そういえば、新聞で読んだところによると、最近、落雷事故で亡くなる方が多いらしい。家に落雷し、家の中の家電製品が一瞬でパーになるケースもあるとか。異常気象の関係か、雷の発生する確率も高くなっているし、その雷がどこにでも落ちるようになっている。昔の常識だと、例えばビルの谷間にいた場合に、雷が高いところに落ちるから安心だった。でも、そうとは限らないらしい。色々な条件が重なって、高いところだろうが低いところだろうが、無差別に落ちるのだ。
雷の発生する上空、ま、正確に言えば、帯電している雲と地上の距離が5,000mあったとして、それが一瞬のうちに地表との間でスパークするわけだから、おっとろちいのだ。そのときの高い建物とそうでない部分というのは5,000mの中の僅かな違いなので、高い低いはあまり関係ないのかもしれない。だいたい一直線に落ちるわけじゃなくて、ジグザグに稲妻が走るわけだし。なんか雷そのものがパワーアップしているっていう気もする。
地球環境がどんどん変わってきているのは確か。一番怖いのは温暖化もそうだし、私はオゾンホールも気になる。それと、ひょっとして雷が常態化してくると、外に出るのは非常に危険な行為になってくる。人類滅亡のシナリオの主役は雷かもしれない。物凄いパワーの雷が絶えず空と地表の間をスパークしているような、そんな恐ろしい風景を想像してしまうのだ。
どっかの国では、工場が危険な廃液を垂れ流していて、その川の下流地域の生態系をどんどんぶっ壊している。もちろん、人間も危機に陥っている。つい昔の日本も環境を考えずに利益重視の国策で多くの命が失われていたのだ。今や、そんな出鱈目なことをやっている企業や国を、環境問題の先進国は厳しく指導してゆかねばならないのだ。
で、話題は首相辞任の件。遂にというか福田ちゃんが辞任の決意表明をした。個人的な意見としては前の安部ちゃんに比べたらずっとマトモだし、まだまだ大丈夫だろうとは思っていたので驚いた。というか、自民党は今度は誰を持ってくるのかねえ。タマ切れじゃないのか。と、表題からして、この辺りをたくさん書いてみたかったのだが、前にも「しばざ記」には政治のことをあまり持ち出さないということを書いたとおり、やめておく。くだらない論争を裂けるためだ。
それより、首相辞任のお陰で、ドラマを観ていた人、映画を観ていた人がどれだけアタマに来ていたかのほうが私は気になる。そう、私も「嫌われ松子の一生」という映画を観ていた。松子の教師時代、そして遡って幼少の頃がフラッシュバックして、そして、また戻り、松子が教職を解かれ、その後どういう人生を辿ったのか、そして河川敷に現れた謎の人物、、、というところで、いきなり膳場アナが出てきて、更に首相官邸の映像に切り替わった。
なんだ、おらーっ!とっとと記者会見を終わらせて、松子を続けてくんろ。そういう願いもむなしく、会見が終わっても、いかつい顔した政治記者だの評論家だのが、ぐじぐじとつまらん解説を繰り返している。重大ニュースだということは十分承知しているのだから、続きはNHKでどうぞ、とか、そういうことをやってほしいよね。また、家族でくつろいでいる最も大事なお茶の間の時間帯に割り込んでくる福田ちゃんって、どうよ。もう少し考えてほしいね。「私はこの時期に辞任することが国民の皆様に一番迷惑を掛けないと思っています。」なんて言ってたけれど、出来れば時間帯も考慮してほしかったよ。ね、福田ちゃん。しょうがないから、近々DVDでも借りて松子の続きを観るか。またTSUTAYAを儲けさせてしまう。(苦笑)
しばざ記 523
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
最近のコメント